悪魔だってきちんと生きたい

お母さんと旅行に行ってきた。計画というものが嫌いな私、旅行好きで計画ができる母が居てよかったとつくづく思う。

さて、このブログでは私にとって"よい"ものしか扱わないのでで変なものも出てくるけれど気にしないことにして、れっつらスタートしよう!

 

高知駅に着いてまず向かったのは「メフィストフェレス」という喫茶店。創業は1964年(昭和39年)

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どん!2階部分の装飾が遠くからでも目立つのでヒジョーに分かりやすい。おとぎ話に出てきそうにダークメルヘンで素敵。右にある扉から異界のいきものが覗いていそうだね。
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盾を被った太陽、ライオン、笛吹、ボロボロの操り人形、上にはトカゲ(カエルかな) どんな物語が込められているんだろうな〜。お店の名前になっているメフィストフェレスは戯曲「ファウスト」に出てきた悪魔なのだけど、その名前は"光を愛さない者"を意味するらしいので

太陽を吹き飛ばして暗黒の世界を構成しようとしているのかもしれない。

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くま「ダシテ・・・」
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所々鮮やかなガラスがかわいい。この日は雲がもくもくで曇りだったのだけど晴れた日なら床にも色とりどりの光が映し出されて素敵だろうな。

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ひろびろ、そして思っていたよりもスッキリしていてお洒落。昭和な喫茶店好きあるあるだと思うのだけど、改装済みで綺麗になっていると月日が経ったものにしか発せない独特のよさが無くなって逆にガッカリしてしまう!でもこのお店は布張りの椅子やアンティークのインテリアがうまく混じり合っているかな。何よりお店の外観がよいです・・・
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ボリューミーなモーニング!こういうきちんとした朝食を毎朝摂る人に私はなりたい。悪魔って何食べるのかしら。魂かな。人間だって魂食べてみたいよ〜。メンヘラ思考な人だったら好きな人の魂とフュージョンしたいかもしれないし。
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100万回ブログ作成した猫

もう何度目のブログ作成だろう。初めてブログというものを認識したのは、アメーバブログだった。アメーバピグという自分のアバター(ピグ)を作って可愛く着せ替えてリアルタイムでチャットを出来る空間があり、どこから知ったのかは分からないが小学生4年生から6年生にかけてどハマりしていた。友達にも教えて登録してもらってピグ上で会って会話したりしていた。

実際に会わないでゲーム上で会話する子供時代を過ごしているの、平成生まれという感じがしていいな・・・ 私がおばあちゃんになったら孫に「私が若い頃はアメーバっていうパソコンで遊べるゲーム上で友達と会ったりしてたんだよ」と語り、「パソコンってなあに?」と返されてジェネレーションギャップを感じるのかもしれない。私にとってはピグがアメーバの機能のメインだったのだが、きっとアメーバはブログがメインである。当時の私もその存在には気づいていたので初めてみることにした。しかし当時小学生高学年。学校に行って、放課後や休みの日は駄菓子を買って公園で鬼ごっこ、もしくはダイエーでプリクラを撮る、レアなパターンとして青少年館に行って漫画を読んだりトランポリンを飛んだりする。その3つの中で過ごしていた毎日である。ブログに書くような特別なことなんてない!たまに懐古モードに陥って当時のブログを覗いてみたりするけど、「ヤッホー☆今日はこれから塾で〜す(*^o^*)さいあく〜。では、またねっ!」みたいな内容が削ぎに削ぎ落とされたような文章で自分の中身の無さに恥ずかしくなってしまう。しかし今は違う・・・この間20歳になった。そう、大人なのである!時間が私を置き去りにして勝手に経っていったので年齢ばかり上がってしまったけれど、財力と行動力は当時に比べれば格段にレベルアップしている。当時がレベル5なら今は45くらい。それに、趣味もできた。小学生の時は本当に中身がからっぽの空洞のすっからかんで、すごく好きな訳ではなかったけどなんとなく友達から嵐のDVDを借りたりtroublemakerを聴かせてもらったりしているうちに嵐のお茶の間ファンになったり、お姉ちゃんから関ジャニや平成ジャンプの映像を見せられているうちにみんなかっこいいな〜と思い始めたり、友達がひぐらしのなく頃にというアニメが好きらしいので見てみたり(残忍度が高くて私には合わなかった)、ゴスロリ好きな友達に影響されて原宿で派手でロリちっくなパーカーを買ってみたりしたのだけど全てが"中途半端"だった。お金も無かったからどういう趣味の突き進め方をすればいいのかも分からなかったのかもしれないけれど。

中学生になってからスピッツを好きになり世界がほんとうにぐるんと反対になってしまったくらいに物の見方が変わった。自分の居る世界が綺麗なものばかりじゃないこと、だけれど捉え方で幾らでも美しくできることを知った。マサムネさんも「見慣れたはずの街並みも ド派手に映す愚か者 君のせいで大きくなった未来」と歌っている。この"君"が当時の私にとってはスピッツだったのだ。その後高校生になってからはandymori小山田壮平さんに静かに燃えるような情熱とその裏にある哀愁を、そして力まない生き方を教えてもらった。「楽園なんてないよ 楽園なんてある訳ない 友達も繰り返してる Life Is Party 」「10年経ったらおもちゃも漫画も捨ててしまうよ」と自分に言い聞かせるように歌う大人は、物悲しく見えた。だけど私の周りの大人が「大学受験」「将来」「就職」と口うるさい中で、子供のような笑顔で歌を口ずさみながら流れるように生きるその人は私にとって心の寄り添いどころというか、救いだったのだ。そして今はそこから少しそれて松田聖子をはじめとした昭和のアイドルと喫茶店などの昭和の文化や建物が好きだ。時代やジャンルは違っているけど、草野マサムネ小山田壮平の現実から目を逸らさないけれどそのどこかにある何か(理想だったり恋人だったり)を夢想せずにはいられない視点は、私の"現在を生きているけれど過去に目を向けずにはいられない"という性格や好みに確実に影響している。変になが〜い自分語りになってしまったけど、ブログなので別にいいよね。インターネットの海をさ迷うごみくずの1つでしかないこのブログが自分語りが異常に長かったとしてもぜんぜん問題は無いのだ。
このようにして昭和を感じるという趣味が出来た私は、日々色々な昭和を探し求めている。それをきちんと記録したいなと思ったのでブログを作成した。このブログ、結局何が言いたいんですかって言われたら最後の4行で済んじゃうね。思考があちこち飛んでまとまらなくなっちまう悲しみに・・・(中原中也)